神戸に住んでいながら、隣町、大阪に 足を運んだことがない・・・ 一度行ってみたい眞弓の希望で、 前日に大阪の地図を調べ、 予備知識を頭に入れて出かけました。 1:生まれ変わった「大阪そごう」・・・ 昨秋、リニューアル生まれ変わり、連日、 入場制限したという新そごうのどこが新鮮?? 店の中心とのうたい文句の「川」も、チョッピリ期待はずれ・・ 大阪の新名地だといっっても、どこの百貨店とも変わらなくて、がっかり。 どこの店も同じような百貨店の生き残り策は、どこにあるのかしら? 私はいつも「神戸大丸」に行き、大好きな三つのブランドを見るだけ。 ここにヒントがあるかしら?? 各百貨店は、入店したブランドはどこにも負けないというように品揃えをするとか??? 2:阪神ファンが飛び込む道頓堀・・・ 兄が大の阪神ファンで、以前飛び込んだことが あるので、多いに期待して行く。 ところが、飛び込まないように、フェンスが 張られていて、臨場感なしで本当にがっかり。 人が飛び込んで、怪我をしようが自己責任!! じゃあないの?? 自転車が投げ込まれるからフェンス?? フェンス以外の策は考えられないの?? 3:期待大の「昼食」!! 予備知識も含めて、道頓堀で美味しい物を探して、 歩き回る。 地元の人に聞くのも良かろうと、 地のおじさんと、OL仁尋ねる。 文句無しの推薦が、「とんぼり 神座」 の ラーメン・・・ 9枚も入ったチャーシューは柔らかく、 白菜一杯のラーメンは美味しかった・・・ 外では並んでいるし、沢山席のある店は、途切れることなく満席・・・・ せっかくのお上りさんの昼食がラーメンで残念だけど、美味しかったから良しとするか・・・ 4:憧れの 「法善寺横町」 織田作之助の 小説「夫婦善哉」でも有名な 石畳の路地にとうとう来ました!!!! 路地の両側には、小料理屋、バーなどが ひしめきあって軒を並べる大人の世界!! 横丁の入り口に架かる看板の文字は 西が藤山寛美さん、東は3代目桂春団治さん。 小料理屋「正弁丹吾亭」の前に「行き暮れてここが思案の善哉かな」の織田作之助の碑がありました。 道頓堀と並んで、数々の歌にも登場する、 ミナミのシンボルとも言える法善寺横は浪花情緒あふれる 一角で、夜に来てみたいな~~ こんな世界にちょっと憧れる~~~ 一軒、昼でも開いていた店前に置かれたお品書きは、「昼御膳 5500円」 ここで食べたかったな~~(ラーメン食べたから次の機会に来ましょう) ここの夜は、お幾らの世界なのでしょうね??!! 5:オフィス街 「北」 夫が仕事をし、そして今は息子が勤める「北」。 淀屋橋、大江橋、大阪市役所、の辺り。 夫は自分の勤めた場所で懐かしく、更に、 その場で、再び息子が仕事をしているのは、 感慨深いものがあったようである。 私は故郷「東京」を思い出して懐かしい~~~ お上りさんの大阪見物は終わり。 次に来る時には、 大阪大林ビル30F「ル・ポン・ド・シェル」で、夜景を楽しみながらフランス料理を食べ、 中之島公園で舟に乗り、川から見える夜の眺めを楽しみ、 ザ・リッツ・カルトンのバーで、一杯楽しみ、そこで泊まる!!! こんな旅を実現してくれるパトロンさんはいないかな~~ な~~~んて考えながら、 スイスのチョコを食べながら歩いた、お上りさんの大阪見物は終わりました・・・ #
by Theresia_mayumi
| 2006-01-19 11:00
「満月の光」
真っ暗闇の中で、満月の光は それはそれは美しい!! 太陽の光とは違って、 真っ暗闇なのだけど、 満月の光は、 何でも見せてくれる明るさがあるのです・・・ 太陽の暖かさとは違って、 外の気温はとても低いのだけど、満月の光は、心暖めてくれる温かさ, 神秘的な美しさと、優しさが、夜明けに光る満月にはあるのです・・・・ 零下の明け方の気温も、ものともせず、今朝も朝の6時、 美しい満月と共に走れる嬉しさで、今朝も弘と共に、凛とした空気の中に飛び出しました。 家の前で、二人で準備体操をして、 弘は、6時半から始まる、樫野台公園仁向かって、右の方向へウオーキング! 眞弓は、13Kmランを目指して、左の方向へランニング! 弘は、7時に家に帰って、朝食の用意! 眞弓は、朝食が出来た頃帰宅して、シャワー! 夫の用意した朝食を頂きながら、元気な今に感謝する熟年夫婦の毎朝です!! #
by Theresia_mayumi
| 2006-01-15 06:00
「家計簿」 家計簿の記帳は、 結婚後数ヶ月で羽仁もと子の「婦人の友」の世界に 心酔して以来、ずっと続いている。 もう同じ「家計簿」が33冊、本棚仁並んでいる。 羽仁もと子の家計簿の意義 1:任せられた給料の行き先をきちんと報告出来る。 2:羽仁もと子の目指す、「家庭は簡素に社会は豊富に」の 考え方を生活に根付かせる。 3:家庭の大事時に、月々の生活費が把握出来ていれば将来の計画がしっかり立てられる。 4:予算生活を守ることにより、不況時も乗り越えられる。 私の記帳は、家計簿記帳の本来の意義には全く達していません。 1:同居人の夫に、納得されないかもしれないけど、行き先だけは一応報告は出来ます。 2:「家庭は簡素」ではなく「家庭は出来るだけ豊かに」の方針で運営しているし・・・ 3:月々の生活費は、必要に応じて使ってしまうので、しっかり把握できていない・・・ 4:予算を立てた時は無い・・・・ トホホホ・・・33冊の羽仁もと子の家計簿が泣くよね・・・・ 私の家計簿は、日記代わり・・ 旅行の日の記帳は、旅の日時、走行距離、食べた食材、感想まで書いてあったりする。 子供の結婚の頃の記帳では、子供のお相手と初めて出会った様子も、手に取るよう思い出せる。 私の家計簿は、出し入れを書くだけ・・・・ しかしこの出し入れの記帳だけでも一年間続けることは、チョットした努力がいる。 レシートや転記をため込んでは、月末にまとめて書いたりして・・・・ それでも一年の決算表を埋められた時の嬉しさは格別です!!! 決算表は、当然、その年の特徴を一目瞭然仁表す。 年金生活者になった私達夫婦の家計の特徴は、 夫費と妻費の家計に占める割合の多さ!! そして食費の贅沢さ!! である・・・ この決算が出来た時に味わう満足感のお陰で、私の家計簿記帳は続いていると言えそう。 2005年の決算を今日完成しました。 勿論、今晩はお祝いの祝杯です!!! #
by Theresia_mayumi
| 2006-01-14 20:00
今年も「青春18切符」の始まりです。 今年も「青春18切符」で、 JRのどの線に乗り、どんな旅を作れるか、 とても楽しみです。 今回は、歴史と季節を見つけに、 2006年大河ドラマ 「功名が辻」 の舞台、 北近江 「長浜」 へ行って来ました。 とても寒い日が続いているので、 寒い中を今回はどこに行こうか、昨日の昼まで、「18旅行」の相棒と決めかねていました。 そして昨日夜、今年の大河ドラマ「功名が辻」の第一回目テレビを見た後、 「長浜だ~~」と二人共がひらめき、電話で納得しあい、行き先が決まった訳です。 それから、「時刻表」とにらめっこ!!! びわ湖の北部の湖北の 「長浜」 まで行き、 長浜の旅情緒を満喫出来る古い街並 「黒壁スクエア」 を散策し、 北近江を代表する冬の味覚、「鴨すき」 を食べ、 「功名が辻」の主人公、山内豊一と妻千代が武将としての足がかりを築いた 「長浜城」 で、 信長、秀吉、一豊、が駆けた時代に思いを馳せ、 雪の舞う湖西線に乗り、「琵琶湖一周」 をする・・・・・・・という計画の出来上がり。 「長浜」 長浜は、室町時代末期から安土桃山時代にかけて、信長、秀吉の天下統一への戦乱の地。 近代になっては、日本海からの鯖を運ぶ「鯖街道」として栄えた街。 「長浜城」 天正元年(1573年)、浅井長政滅亡後、湖北を支配したのは、秀吉。 姉川合戦と小谷攻めで手柄を上げた秀吉は、その功績で、浅井氏の領土の大部分を与えられ、小谷城にはいる。 2年後に、湖岸に近い長浜城を築城し、移る。 秀吉が一国一城の主となった最初の拠点で、城下町経営の基本を醸成した所。 秀吉の家来となった、山内一豊が長浜城3代目城主となる。 城展望台から、昨日までは吹雪で一寸先も見え無かったというのに、今日は最高の日で、 伊吹山をはさんで右に、関ヶ原古戦場跡、左に、姉川合戦場、賤ヶ岳合戦場跡が、 雪景色も美しく、白黒の墨絵の絵画のように、美しく、切なく、見渡せる。 「鴨すき」 天然物の鴨一羽分で、もも肉、肝、等、脂ののったジューシーで風味豊かな鍋に大満足。 「焼鯖ソーメン」 「鯖街道」の名を頂いたこちらの料理も、長浜を代表する名物とのことで、頂く。 鯖の煮汁で、黄色いソーメンを味付けしてあり、美味しく、大満足!! 「琵琶湖一周」 長浜から、北陸線の乗り「近江塩津」まで行く。 いよいよ一周の湖西線に乗り換えと、楽しみに胸躍らせて、無人の駅に降り立つと、 湖西線が来るまでに一時間以上待つとのこと。 もう5時を回っており、6時過ぎに電車に 乗っても、景色も見えない暗闇でしょうと諦める。 引き返すにも、引き返しの電車は、雪で遅れており、30分以上待つとのこと。 雪の舞い散る、雪におおわれた白黒の世界に、 真っ白な白鷺も舞う、美しい墨絵のような美しさに、 心清められる。 この美しい景色は、今回の旅の最後を最高に 飾ってくれました。 電車を待つ間、駅を降り立ち、雪合戦をして、友人と旅の喜びを分かち合いました!!!! 「青春18切符2006年第一弾」 の今日の旅は大成功! #
by Theresia_mayumi
| 2006-01-09 07:00
友人の「臨死体験」 友人と昨年11月に 恒例の京都紅葉狩り旅行をした。 夕方遅くに、それぞれ帰路に着いた・・・・ とばかり思っていたら・・・・ 友人はその帰路交通事故に会い、 病院で手術、身動き出来ないままに、 それ以来入院をしていたのです・・・・ 今日、それを知り驚き、見舞いに行ってきました・・・・ 友人は、私と別れた後、自宅前の交差点を渡って入ると、 信号無視をした大学生の運転するバイクに跳ねられた。 右膝下の脚は肉がめくれ上がり、 右膝は複雑骨折。 跳ねられたとたんに飛び上がり、頭から転落。 頭は切れ、8針縫う手術を受ける怪我。 友人は、血まみれの中にうずこもっていたのだけは覚えているそうです。 明石駅の近くの事故だったのだが、あまりに大きな怪我なので、 明石の大きな病院すら無理でしょうと、救急車が判断して、 三ノ宮ポーアイの神戸市民病院に運ばれたそうです。 日をおいて脚だけで、4回の手術をしたようです。 すごい出血だったので、最初の手術は緊急に、 めくれ上がった肉を縫いつける手術と、頭を縫う手術だったそうです。 それは部分麻酔で行われ、医者達の話す言葉が聞こえていたそうです。 「脈が止まる~」等と話して入るのを聞く頃、本人もすごい吐き気と同様に、意識が無くなったそうです。 と同時に、段々と、暖かく、明るく、大きい、光の中に、全く同化していく自分を感じたそうです。 自分という「個」がなくなり、光と同化していきながら、それが本当に「気持ちがいい~~~」と 思っていたそうです。 そんな時、先生達の「大丈夫ですか~~」と、何回も呼ぶ声が聞こえ、 自分の手術の気持ちの悪さ、気分の悪さが、よみがえり、感じられ、 「どうして私はあの気持ちのいい光の中から出てこなくてはならないの~~」 と不満の気持ちが湧いてきて、我に返ったそうです。 友人はあれが「死」なのだろうから、「死」が怖くなくなったといいます。 これこそが、キリスト教の解く、「永遠の命」にとけ込み、内服されるということでしょうね。 これって「臨死体験」だと思いませんか? こんな臨死体験を信じますか? 私は信じます。 私も30年程前に、チョット似たような経験を、何日かおいて、2回もしました。 私も手術の後、10k程やせて、血圧が異常に下がり、家で一人で寝てるときに、 終わりの無い、静かな、底の底に、吸い込まれて行きながら、 「ああこれで死ぬんだな~~」と冷静に考えているという経験をしました。 何の怖さもありませんでした。 近所の方が様子を見に来て下さった、ドアの「ピンポ~~ン」の音で、私は我に返りました。 「ピンポ~~ン」が無ければ、確実に私は死んでいたと思います。 友人は命を取り留め、もう少し経って、肉が少し付いて来たら、リハビリが始まるそうです。 交差点を渡る時は、たとえ「青」でも、充分に気を付けてから渡りましょう!! そして車を運転なさる皆さん!充分に安全運転をして下さいね!!!お願いします!! #
by Theresia_mayumi
| 2006-01-08 15:00
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